きっかけというものについて
結婚が本当にハッピーだと思ってるなら妊娠する前に結婚しているはずではないか、という説。
— あなたと Java、今すぐ結婚。 (@nobuoka) 2014, 7月 12
きっかけ作りは大切であるという結論に達しました。
— あなたと Java、今すぐ結婚。 (@nobuoka) 2014, 7月 12
妊娠を機に結婚することをダブルハッピー婚と呼ぶか授かり婚と呼ぶかはさておき、何事もきっかけというのは大事であるなぁ、とこの件について考えていて感じた。
何らかの実行力が備わっている個人や組織があったとしても、その実行力が行使されなければ実行力があってもあんまり意味がないわけだ。 ちょっとした一言だったり、呼びかけをきっかけとして発揮されていなかった能力が発揮されることもあるわけで、きっかけというのは大事であることよ、と思う。
上の例で言うと、妊娠というのはたいていの場合 (結婚のきっかけ作りという観点では) 意図したものではないことが多い *1 わけだけれど、まあそれはそれとして、己に対しても他者に対してもいいきっかけを与えられる存在でありたいと思うし、何かいいきっかけがあるならそれにのっかかっていきたい所存。
「勉強会なんて行くだけ時間の無駄。 懇親会とかは意味あると思うけど」 みたいな意見をたまに目にするし、実際単に勉強会に言って話を聞くだけではそんなに意味がないと思うけれど、きっかけ作りという意味では勉強会の存在そのものも意味のあるものだと思うし、勉強会に参加することも意義深いことなんじゃないかなーと思ったりしてる。
*1:妊娠するためにコンドームに穴を開ける、みたいな話も聞いたりする (普通に考えてファンタジーっぽい) けど、まあそういう話は横に置いておこう。 我々は健全であるべきだ。