一角獣は夜に啼く

ただの日記です。

思ってることとか考えたこととか適当に書きます。 主にソフトウェア開発の話題を扱う 「ひだまりソケットは壊れない」 というブログもやってます。

Windows 10 PC が勝手にスタンバイから復帰する問題 (Intel の NIC が原因ぽかった)

こないだ組んだ Windows 10 のデスクトップ PC が 「スリープ状態にしても数分ですぐに復帰する」 という状態で、非常に困っていた。 (とりあえずスリープを使わずに電源を切ることで乗り切っていた。)

いい加減対応しようと思って調べたところ、「Windows 10 スリープの復帰が勝手に実行される原因と対象方法」 と 「Windows 10のスリープが夜中に勝手に解除されてしまうようになってしまったので原因を探ってみました。:(仮)タイトルいつ決めるのさ:So-netブログ」 が参考になった。

イベントビューアーで Power-Troubleshooter を見たところ、下記のようなメッセージであった。

システムは低電力状態から再開しました。

スリープ時間: 2019-05-08T18:57:39.012052900Z
スリープ解除時間: 2019-05-08T18:58:22.887225900Z

スリープ状態の解除元: デバイス -Intel(R) I211 Gigabit Network Connection

NIC が復帰させてるぽいので、このデバイスのプロパティを開いて 「このデバイスで、コンピュータのスタンバイ状態を解除できるようにする」 を無効にした。

1 日ぐらいスタンバイ状態で放置してみたところ、無事勝手に復帰することはなかったので、多分問題は解消されたっぽい。 (しかしこれをオンにしている状態でなんで復帰するのかはよくわからん……。)

読んだ : 人間とは何か

数年前の社内勉強会にて、同僚が 『CODE COMPLETE』 を取り上げながら 「完全なプログラミングとは何か」 ということを語っていて、(資料しか読んでないのだけど) 私はそれがとても好きなのです。

「『CODE COMPLETE』 自体は 10 年以上前の古い書籍だけど、その価値は古びていないのか?」 という問いに対する答えとして、「ソフトウェアを開発するのは人間であり、ツールの進化はあれど人間の変化はそこまで大きくない (だから読む価値はある)」 ということが書かれていて、そこで 「人間とは何かを勉強中です」 と紹介されていたのが本書、『人間とは何か』。

これは 「トム・ソーヤの冒険」 などで知られるマーク・トウェインによる思索の物語である。 本書の内容が (わかりやすさや論理的であるかどうかなどの観点で) 素晴らしいかというと微妙だが、テーマとしては非常に面白い。

人間とは何か

本書は、老人と若者との会話という形で書かれている。 冒頭から、老人の主張は 『人間というものは単なる機械にしかすぎず、それ以上の何ものでもない』 というものである。

『人間を動かし、監督し、命令するのは、外部からの影響力だ ── ただそれだけ、なのだ。 人間が自分で生み出すものは、何ひとつない ── ひとつの意見でさえも、ひとつの考えでさえも、生み出すことはできないのだ。』

人が選択をするとき、その選択は自分自身の精神を満足させるという衝動によってなされている。 心の平和、精神の慰安を確保するということが人生において何より大切な目的である。

上記のような内容が、老人の主張として本書で語られる。 若者は反論していくが、若者の反論は老人に破られていく。

全体的に比喩などが多く、わかりづらい点も多いが、一貫して語られるのは上記のような内容である。 解説では下記のように書かれている。

作者の中心にあるのは次のような考えだ。 人間 (の心) も動物 (の心) も機械だ。 人間にも動物にも真にオリジナルな物など作れはしない、すべては昔からのコピーの累積だ。 人間が自由意志と錯覚しているものは自由選択に過ぎない。 人間の行動の根本原理は自己満足である。

人間とは機械なのか

人間とは何かということについては私自身も昔から考えていて、結局のところ脳の中のシナプスの結合による情報の保存や電気信号のやり取りが思考のもとになっているはずで、外部からの入力刺激がもとになって脳内が発達していくと考えると (成長する) 機械のようなものだと言えるのではないかとは思っている。

一方で人間には 「思考する自分自身の意識」 (おそらく自我とか自我意識とか呼ばれるもの) を認識する機構もあるはずで、それに対する明確な言及は本書ではなかったな、というのが個人的な感想である。 高度に発達した認知能力が自分自身の意識をメタ的に認知できるのだとすれば、例えば本当の機械にも自我が芽生えうるのか? というのが気になるところである。

中学生のころから自我とかには興味があって大学選択の時にも心理学を専攻しようかちょっと悩んでいたのだけれど、結局あまり調べずにこれまで生きてきてしまったので、次は 『脳と自我』 などを読んでみたりしたい。

脳と自我ー意識・夢・進化

脳と自我ー意識・夢・進化

思考をメタ認知するということについて調べていたら、茂木健一郎メタ認知ホムンクルス論というのを提唱していたらしい。 ここら辺も気になるところ。

mercamun.exblog.jp

2019-03-06 日記 : 2019 冬アニメ

ここ数クールはあんまりアニメを見られてなかったのだけど、今クールは結構面白いアニメが多くてめっちゃアニメを見てる気がする。 (10 本以上見ていたころと比べると断然少ないけれど。)

賭ケグルイ××』、『B-PROJECT 〜絶頂*エモーション〜』、『デート・ア・ライブ III』 あたりは前作を見ていたのでそのまま継続。 『賭ケグルイ』 は相変わらず異常な世界観で面白い。 『デート・ア・ライブ』 も相変わらずのハーレム展開で良い。 『B-PROJECT』 は夜叉丸さんがどうなってるのか気になるけど、しばらくは日常パートが続きそう。

あと見てるのは 『盾の勇者の成り上がり』、『約束のネバーランド』、『五等分の花嫁』、『revisions リヴィジョンズ』。 『盾の勇者の成り上がり』 は逆境から地道にコツコツ這い上がっていく感じでとても応援したくなる。 尚文さまがんばれー。 あと声がいい。 石川界人最高。 『約束のネバーランド』 はヤバい世界で平静を装って生きていく感じが良い。 『少年ジャンプ』 で連載してると知って、マジか、ってなった。 『五等分の花嫁』 はラブコメって感じ。 『revisions』 は 『漂流教室』 感がすごい。

主題歌

今期の主題歌、そこまで気になるのはないなー、って思ってたけど、最近 『デート・ア・ライブ III』 を見始めて 「I swear」 を聴いたところめっちゃ良かった。 sweet ARMS ありがとう……。

読んだ : DEEP WORK 大事なことに集中する / カル・ニューポート 著

大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

元同僚が 「DEEP WORK」 という言葉を使っていたのが気になっていたので読んだ。

ディープ・ワークとシャロー・ワーク

原題にもなっている 「ディープ・ワーク」 は、著者の造語である。 対応する言葉として 「シャロー・ワーク」 というものもある。

ディープ・ワーク : あなたの認識能力を限界まで高める、注意散漫のない集中した状態でなされる職業上の活動。 こうした努力は、新たな価値を生み、スキルを向上させ、容易に真似ることができない。

シャロー・ワーク : あまり知的思考を必要としない、補助的な仕事で、注意散漫な状態でなされることが多い。 こうした作業はあまり新しい価値を生み出さず、誰にでも容易に再現することができる。

本書の内容

現代はコミュニケーションツールが充実しており、仕事中にもメールやチャットなどによる割り込みが多い。 SNS でのやり取りなどでも注意散漫にもなりやすい。 一方で、単純な作業は機械化されたりしていく中で、人の仕事としては、より集中力が必要なもの、深く考える必要なものが高い価値を発揮するようになってきている。

そのような状況の中でディープ・ワークが重要である、ということが前半で語られる。 後半ではディープ・ワークを実践するための方法が語られる。

個人的な体験として

個人的な体験としても、外界とのやり取りを断って物事に集中するのが効果的な状況があるというのは実感している。 大学受験前には、2、3 ヵ月ぐらいの間、朝起きて寝るまで、トイレや食事・風呂以外はずっと受験勉強をするということをしていたのだけど、あれはだいぶ効果があった。 (あまりにも効果があったのでそのあと受験勉強をやめてネトゲ廃人をしてしまったのは良くなかった。)

それから、個人的にソフトウェア開発をするときや新しい技術を学ぶときには、土日の間に時間を取って集中して取り組むことが多い *1。 「今週はこれを学ぶ」 とか 「これを作る」 などを決めたら、あとは集中してやり続ける、みたいな感じ。 これも集中できて効果があると感じる。

一方で、仕事において重要なことに集中できているかというとできてないよなぁ、というのは本書を読む前から感じている。 自分は、メールチェックをこまめにはしないとか事務作業でやらなくて良さそうなやつは放置するとか、わりとシャロー・ワークを避けてる方ではあると思うんだけど、やっぱりなんだかんだでシャロー・ワークは多い。

本書では、知的労働者が生産性の代わりに多忙であることを示しがちであることが下記のように述べられている。

社会評論家、マシュー・クロフォードは述べている。 「マネジャーたち自身、精神的に混乱した状態で生きており、果たさねばならない漠然とした責務に心を悩ませている」

クロフォードは特に知的労働に従事する中間管理職の苦境を述べているが、「精神的な混乱」 はこの部門の多くの職業に当てはまる。 (中略)

多くの知的労働者にとって、同様の現実が問題を生んでいる。 彼らは生産力あるチームメンバーで、生活費を稼ぎだしていることを示したいと思っているが、そのために必要なものがはっきりとはわかっていない。 彼らには自分の価値の証となる、上昇していくエイチ指数や修理済みのオートバイを並べたラックはない。 個の隔たりを埋めるため、彼らは生産力がもっと広範に見られた最後の時代、つまり工業の時代に戻っていくように見える。

生産性を示すことの代用としての多忙に陥らないように気を付けているつもりではあるけど、やらなくていい作業とか手を抜ける作業とかがもっとあるだろう気もするし、大事なことにもっと集中するようにしていきたい。

*1:最近あんまりできてないけども……。

読んだ : ポリアモリー 複数の愛を生きる

ちょっと前にポリアモリーについて書かれた web 記事を読んでからポリアモリーについて気になってたので読んだ。 著者は一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍 (執筆当時) の深海菊絵氏。 専攻は総合社会科学、人間行動研究分野 (社会人類学)。

新書777ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

新書777ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

本書は、深海氏によるアメリカでの 14 ヵ月にわたるポリアモリーについてのフィールドワークで得られたデータや事象がまとめられたものである。 ポリアモリー実践者へのインタビューやポリアモリー・グループへの参与観察が扱われている。

私はこの間までポリアモリーという概念を知らなかったので興味深かった。 モノガミー社会に生きる我々の中にはモノアモリー的な倫理観に疑問を持たずに生きている人も多いと思うので、本書を読むことで新しい視点を得られるのではないかと思う。

ポリアモリーとは

本書では次のように説明されている。

ポリアモリー (polyamory) という語は 1990 年代初頭にアメリカでつくられた造語であり、ギリシア語の 「複数」 (poly) とラテン語の 「愛」 (amor) に由来する。

『オックスフォード英語辞典』 では、ポリアモリーを 「同時に複数のパートナーと感情的に深く関わる親密な関係を築く実践。 全てのパートナーの合意に基づいて、性的なパートナーを同時に二人以上持つ実践」 と定義している。

しかし、「ポリアモリー」 の定義は一通りではなく、マニュアル本やポリアモリー・グループによってさまざまである。

反対に <一対一> のパートナー関係を是とする実践をモノアモリーという。 似たような概念として、社会制度上の婚姻に関して単婚 (一夫一妻) をモノガミー、複婚 (一夫多妻や一妻多夫など) をポリガミーという。

ポリアモリーを特徴づける 4 点として、次のものが挙げられている。

  • 合意に基づくオープンな関係 : モノガミー社会においてはパートナーに他者を好きになったということを伝えることは基本的にないが、ポリアモリーでは 「大切な人であるパートナーに嘘をつくべきではない」 という思想で 「あなた以外に愛する人がいます (愛する人が現れる可能性があります)」 ということを伝える。 この考えが、ポリアモリーの条件である 「オープン (開かれた関係)」 の根底にある。
  • 身体的・感情的に深く関わりあう持続的な関係 : 単に性的な関係を目的としているわけではなく、あくまで愛する特定の人と持続的に親密な関係を築くことを目指す。
  • 所有しない愛 : モノガミー社会では、パートナーに対して 「自分だけを見て欲しい」 と願うように、パートナーを束縛したりパートナーを所有しているとみなすような関係もあるが、ポリアモリーではパートナー関係を 「所有すること」 とは別だと考える。 さらには、パートナーを所有しようとする行為はお互いの成長を邪魔する危険があると考える。
  • 結婚制度に囚われない自らの意志と選択による愛 : モノガミーやポリガミーといった社会制度 (や、それによって生じる社会規範) を漫然と受け入れるのではなく、自分の意思で付き合う人数を決めることが大切。

上記を満たすような人であれば、<一対一> のパートナー関係を選択していてもポリアモリーに含める場合もあるらしい *1。 実際のところ、<一対一> のパートナー関係においても上記の思想は有用であると思う。

ポリアモリーについては下記ページも参考になる。

気になったことなど

書籍を読んで気になったこと。

ポリアモリストの特徴 (セクシャリティと宗教)

2 章でポリアモリスト *2 の特徴が述べられている。

その中で、ポリアモリストのセクシャリティの割合が述べられていた。 最も多いのはバイセクシャルで、調査対象のポリアモリストのうち 50 % 以上の人が該当したとのこと。 理由としては、バイセクシャルの人が特にポリアモリーな関係性を望みやすいのであろうと考えられていた。 実際、バイセクシャル研究を行っているペイジによる調査では、サンプル数 217 のうち、33 % がポリアモリー的な関係を築いており、54 % がそのような関係を理想であると答えていると報告されているとのこと。 (ほかのセクシャリティとの比較はないが、実際に多いんだろうという気はする。)

宗教でいうと、調査対象全体のうち 30 % をペイガンという宗教が占めている。 ペイガンは 「異教徒」 を意味し、キリスト教以前の多神教や自然崇拝を特徴とするらしい。 また、29 % は無宗教とのこと。 調査対象のうち、生まれそだった環境の宗教はキリスト教が 81 % を占めていることを考えると、キリスト教の教義的にポリアモリーは相性が悪いんだろうなという気はする *3

ペイガンの中には 「ウィッカン」 という女神崇拝をする人々もいるらしい。 ウィッカンの倫理は 「誰も害さない限りにおいて、望むことを行え」 というもの。 良い教義。

ポリアモリーに必要なもの

実践者によると、「理性」 「知性」 「コミュニケーション能力」 が必要とのこと。

理性とは、善悪を判断し、道徳や義務の意識を自らに与えるもの。 モノガミー社会における善はパートナーだけを愛することであり、悪はそれ以外の人と関係を持つことであるが、ポリアモリーの文脈においては、善悪の判断は自分が関与している関係において、自分の行動が良いかどうか。

また、ポリアモリーを実践するうえで問題になることへの対応や、モノガミーを規範とする社会で生きていくうえでの知識・知性が必要。

ポリアモリーじゃないけど社会規範とずれてるとあらぬ誤解を与えることってあるよなー、というのは思う。 昔、同性の人とわりとスキンシップしてたことがあったんだけど、そのせいか 「同性愛者だと思ってました」 って言われたことがあってそれからちょっと気を付けてるみたいなのはある。 (まあどう思われてもいいと言えばいいんだけど。) 一方で 「その社会規範 (だったり感性だったり) がおかしいんじゃないの?」 と思うこともあってバランスのとり方が難しい。

メタモア

ポリアモリーでは、愛する人が愛する自分以外の存在を 「メタモア metamour」 と呼ぶ。 メタモアは、愛する人を共有する相手でもある。

嫉妬とコンパ―ジョン

調査によると、ポリアモリーの 80 % の人がポリアモリー実践の中で嫉妬を経験したことがある。

これまでの人類学の感情研究より、感情は普遍的なものではなく社会の構築物であることがわかっているとのこと。 例えば、トルコでは、嫉妬するということは相手に入れ込んでいる証拠であり誇らしいものであるという、肯定的なとらえ方をする。 一方で古代の日本では嫉妬は相手を死に至らしめる呪術的なものであると考えられており、あまり表出されなかった。

ポリアモリーのマニュアル本やワークショップでも、この人類学の知見がしばしば引用され、嫉妬は社会によって作られ、社会によって異なるものである、ということが伝えられるらしい。 そのため、ポリアモリーの人たちは 「嫉妬とは何か」 という根源的な問いを出発点に、そのうえで嫉妬とうまく付き合っていく方法を模索している。

アナポールのマニュアル本では、嫉妬は 「独占欲からの嫉妬」 「疎外感からの嫉妬」 「ライバル意識からの嫉妬」 「エゴからの嫉妬」 「不安からの嫉妬」 の 5 つに分類されている。 ポリアモリーの関係においても、一番多い嫉妬はパートナーとの関係が解消されるのではないかという 「不安からの嫉妬」 らしく、なかなか興味深い。 トライアド *4 の関係においては、普段は 3 人で過ごしているのに、2 人だけでどこかで出かけられたときに 「疎外感からの嫉妬」 を感じたりするとのこと。 仲良くしてほしい。 (トライアドはバランスが結構むずそうだなー、って気はする。)

嫉妬と正反対の感情としてコンパ―ジョン (造語) がある。 愛する者が自分以外のパートナーを愛していることを感じたときに生じるハッピーな感情、らしい。 わかる。 みんな幸せになって欲しい。

自分は愛する人が幸せだったら別になんでも良いという感じの人間なので嫉妬というものはあんまりわかんない *5 んだけど、自分自身とうまく付き合っていきましょうという感じがする。

タントラ

本書によると、タントラとは 「己に目覚めるための現実的な方法」 らしい。 「道を拡げる方法」 とも。 本来の意味としては 『シバ神妃の性力 śakti を崇拝するヒンドゥー教シャクティ派の聖典』 (タントラとは - コトバンク) っぽい。 『インドの宗教を専門とする松永有慶によると、タントラの目的は、己を中心に世界が展開していると考える自己中心的な視点を破棄し、宇宙中心の視点に転換すること』 らしい。

ポリアモリーのマニュアルでタントラに言及されていたり、ポリアモリーの先駆者たちがタントラを実践しているなど、ポリアモリーには何らかの形でタントラの精神が浸透している。

タントラは頭での理解よりも実践を重視するもので、ヨガの実践もその一つ。 瞑想によって本源的な自己の探求を目指すとのこと。 嫉妬を感じたときにヨガを行うポリアモリー実践者もいる。

タントラは 「いまここ」 を重視する思想であり、現在自分を取り囲んでいる生の営み全てに目を向けさせる。 ヨガの実践により、自分の身体で 「いまここ」 で起こっていることを感じ、理解し、受け入れていく。 また、生の営みの中には性の営みも含まれていて、セックスを肯定的にとらえている。 タントラでは性エネルギーは神聖なものであり、性行為は人間が自身に目覚める上で役に立つ、と考える。 性行為を通して高次のエネルギーを引き出し、意識を拡大する術を教えているらしい。

タントラ、気になる。

BDSM とポリアモリー

ラヴィング・モアの 「ポリアモリー調査」 によると、ポリアモリストのうち BDSM *6 実践者な人は 30 % を占めているとのこと。 BDSM 実践者でポリアモリーを実践する人が現れる理由として、BDSM パートナーとライフパートナーが必ずしも一致しないから、と書かれている。 それはそうだろうなぁ。

一方で DS 関係 (SM 関係) は基本的に一対一を前提としているため、ポリアモリーを快く思わない BDSM 実践者もいるとのこと。 BDSM ポリアモリーでは主人や奴隷が複数になってしまうため、関係における個々の役割がわかりにくくなったり、自分の奴隷に複数の主人がいることに対して悲しみを感じたりその逆のパターンもある。

さらに BDSM ポリアモリーでは、 嫉妬問題においても複雑になる。

BDSM 実践者のなかには、セックスよりも BDSM 行為に意味を見出す人びとがいる。 そのような人びとにとって、自分の BDSM パートナーが誰かとセックスすることよりも、自分以外の人と BDSM 行為をすることの方が耐えられない。 それは、わたしとあの人の関係だからこそ BDSM 行為ができる、という認識から生じている。

BDSM 関係は精神面を重視するから、確かに BDSM パートナーとの関係が複雑になるとややこしいことになりそう。 前半で言われている BDSM パートナーとライフパートナーを分けるという意味でのポリアモリー実践ぐらいが順当な気がする。

あと DS 関係の支配・被支配とポリアモリーにおける所有しないパートナー関係の概念が対立しないのか (対立すると思う) はちょっと気になる。

ポリファミリー

ポリアモリストによって構成される、成人 3 人を最小単位とする家族をポリファミリーという。 本書に書かれている事例を見ていくと、どの家族も家族内でのコミュニケーションを重視して、役割分担やお金の使い方などを話し合っている。 これはおそらく、ポリファミリーの型みたいなものは決まっておらず、ポリファミリーごとにそれぞれの最適な形は異なっているために暗黙的に落ち着くことがなくて明示的に相談する必要があるってことなんだろうなぁと思う。

逆に単婚の 2 人で形成される家族の場合には型があるように感じている人が多くて暗黙的に役割分担などをしてしまっている状況もあると思うのだけど、実際のところは単婚でも家族によって最適な形は違うから、本質的には単婚の家族でもポリファミリーでもやるべきなことは変わんない気はする。

あとポリファミリーとは関係ないけど、家事育児と仕事の分担を 2 人の成人でやるよりはさらに大人数でやった方が効率的だし、単婚家族でも複数ペアが集まって家族を形成するのはありなのでは? という気がした。 信頼関係を結べるのかどうかみたいなところが難しい気もするけど。

おわり

別に自分はポリアモリー実践者というわけではないけど、思想的な部分で共感するところも多かった。 最初の方でも書いたように、<一対一> の関係においても 「オープンな関係」、「身体的・感情的に深く関わりあう持続的な関係」、「所有しない愛」、「結婚制度に囚われない自らの意志と選択による愛」 というのは有用ではないかと感じた。 パートナーが複数であるかどうかは重要ではなくて、そこらへんは各パートナー同士で相談すればええんやと思う。

ポリアモリーが性質ならモノガミーだって性質でしょ - ←ズイショ→』 にいいことが書かれてるんだけど、モノアモリー的な価値観が一方的に押し付けられるべきものでないのと同様にポリアモリー的な価値観も一方的に押し付けて良いものではないので、モノアモリー的価値観を持つ人間を無自覚に抑圧するという状況もないように気を付けて生きたい。

*1:それはそれでややこしいので本書では複数の関係性を持つ (あるいは持つ可能性を考えている) 人だけをポリアモリーの実践者としている。

*2:ポリアモリーの実践者。

*3:本書では特に言及されていないが。

*4:3 人が互いにパートナー関係になっているポリアモリー関係。

*5:昔のパートナーに 「(パートナーが異性と出かけることに対して) 嫉妬しないのは愛してないからじゃないのか」 って言われたのを思い出してしまった……。 そういうわけではないんや。

*6:B は Bondage (捕らわれの身)、D は Discipline (主従関係における懲罰)、S はサディズム、M はマゾヒズムを意味する。 Dominance (支配) と Submission (服従) の頭文字から DS 関係とも。