一角獣は夜に啼く

ただの日記です。

思ってることとか考えたこととか適当に書きます。 主にソフトウェア開発の話題を扱う 「ひだまりソケットは壊れない」 というブログもやってます。

読んだ : 人間とは何か

数年前の社内勉強会にて、同僚が 『CODE COMPLETE』 を取り上げながら 「完全なプログラミングとは何か」 ということを語っていて、(資料しか読んでないのだけど) 私はそれがとても好きなのです。

「『CODE COMPLETE』 自体は 10 年以上前の古い書籍だけど、その価値は古びていないのか?」 という問いに対する答えとして、「ソフトウェアを開発するのは人間であり、ツールの進化はあれど人間の変化はそこまで大きくない (だから読む価値はある)」 ということが書かれていて、そこで 「人間とは何かを勉強中です」 と紹介されていたのが本書、『人間とは何か』。

これは 「トム・ソーヤの冒険」 などで知られるマーク・トウェインによる思索の物語である。 本書の内容が (わかりやすさや論理的であるかどうかなどの観点で) 素晴らしいかというと微妙だが、テーマとしては非常に面白い。

人間とは何か

本書は、老人と若者との会話という形で書かれている。 冒頭から、老人の主張は 『人間というものは単なる機械にしかすぎず、それ以上の何ものでもない』 というものである。

『人間を動かし、監督し、命令するのは、外部からの影響力だ ── ただそれだけ、なのだ。 人間が自分で生み出すものは、何ひとつない ── ひとつの意見でさえも、ひとつの考えでさえも、生み出すことはできないのだ。』

人が選択をするとき、その選択は自分自身の精神を満足させるという衝動によってなされている。 心の平和、精神の慰安を確保するということが人生において何より大切な目的である。

上記のような内容が、老人の主張として本書で語られる。 若者は反論していくが、若者の反論は老人に破られていく。

全体的に比喩などが多く、わかりづらい点も多いが、一貫して語られるのは上記のような内容である。 解説では下記のように書かれている。

作者の中心にあるのは次のような考えだ。 人間 (の心) も動物 (の心) も機械だ。 人間にも動物にも真にオリジナルな物など作れはしない、すべては昔からのコピーの累積だ。 人間が自由意志と錯覚しているものは自由選択に過ぎない。 人間の行動の根本原理は自己満足である。

人間とは機械なのか

人間とは何かということについては私自身も昔から考えていて、結局のところ脳の中のシナプスの結合による情報の保存や電気信号のやり取りが思考のもとになっているはずで、外部からの入力刺激がもとになって脳内が発達していくと考えると (成長する) 機械のようなものだと言えるのではないかとは思っている。

一方で人間には 「思考する自分自身の意識」 (おそらく自我とか自我意識とか呼ばれるもの) を認識する機構もあるはずで、それに対する明確な言及は本書ではなかったな、というのが個人的な感想である。 高度に発達した認知能力が自分自身の意識をメタ的に認知できるのだとすれば、例えば本当の機械にも自我が芽生えうるのか? というのが気になるところである。

中学生のころから自我とかには興味があって大学選択の時にも心理学を専攻しようかちょっと悩んでいたのだけれど、結局あまり調べずにこれまで生きてきてしまったので、次は 『脳と自我』 などを読んでみたりしたい。

脳と自我ー意識・夢・進化

脳と自我ー意識・夢・進化

思考をメタ認知するということについて調べていたら、茂木健一郎メタ認知ホムンクルス論というのを提唱していたらしい。 ここら辺も気になるところ。

mercamun.exblog.jp