一角獣は夜に啼く

ただの日記です。

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読んだ : ポリアモリー 複数の愛を生きる

ちょっと前にポリアモリーについて書かれた web 記事を読んでからポリアモリーについて気になってたので読んだ。 著者は一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍 (執筆当時) の深海菊絵氏。 専攻は総合社会科学、人間行動研究分野 (社会人類学)。

新書777ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

新書777ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

本書は、深海氏によるアメリカでの 14 ヵ月にわたるポリアモリーについてのフィールドワークで得られたデータや事象がまとめられたものである。 ポリアモリー実践者へのインタビューやポリアモリー・グループへの参与観察が扱われている。

私はこの間までポリアモリーという概念を知らなかったので興味深かった。 モノガミー社会に生きる我々の中にはモノアモリー的な倫理観に疑問を持たずに生きている人も多いと思うので、本書を読むことで新しい視点を得られるのではないかと思う。

ポリアモリーとは

本書では次のように説明されている。

ポリアモリー (polyamory) という語は 1990 年代初頭にアメリカでつくられた造語であり、ギリシア語の 「複数」 (poly) とラテン語の 「愛」 (amor) に由来する。

『オックスフォード英語辞典』 では、ポリアモリーを 「同時に複数のパートナーと感情的に深く関わる親密な関係を築く実践。 全てのパートナーの合意に基づいて、性的なパートナーを同時に二人以上持つ実践」 と定義している。

しかし、「ポリアモリー」 の定義は一通りではなく、マニュアル本やポリアモリー・グループによってさまざまである。

反対に <一対一> のパートナー関係を是とする実践をモノアモリーという。 似たような概念として、社会制度上の婚姻に関して単婚 (一夫一妻) をモノガミー、複婚 (一夫多妻や一妻多夫など) をポリガミーという。

ポリアモリーを特徴づける 4 点として、次のものが挙げられている。

  • 合意に基づくオープンな関係 : モノガミー社会においてはパートナーに他者を好きになったということを伝えることは基本的にないが、ポリアモリーでは 「大切な人であるパートナーに嘘をつくべきではない」 という思想で 「あなた以外に愛する人がいます (愛する人が現れる可能性があります)」 ということを伝える。 この考えが、ポリアモリーの条件である 「オープン (開かれた関係)」 の根底にある。
  • 身体的・感情的に深く関わりあう持続的な関係 : 単に性的な関係を目的としているわけではなく、あくまで愛する特定の人と持続的に親密な関係を築くことを目指す。
  • 所有しない愛 : モノガミー社会では、パートナーに対して 「自分だけを見て欲しい」 と願うように、パートナーを束縛したりパートナーを所有しているとみなすような関係もあるが、ポリアモリーではパートナー関係を 「所有すること」 とは別だと考える。 さらには、パートナーを所有しようとする行為はお互いの成長を邪魔する危険があると考える。
  • 結婚制度に囚われない自らの意志と選択による愛 : モノガミーやポリガミーといった社会制度 (や、それによって生じる社会規範) を漫然と受け入れるのではなく、自分の意思で付き合う人数を決めることが大切。

上記を満たすような人であれば、<一対一> のパートナー関係を選択していてもポリアモリーに含める場合もあるらしい *1。 実際のところ、<一対一> のパートナー関係においても上記の思想は有用であると思う。

ポリアモリーについては下記ページも参考になる。

気になったことなど

書籍を読んで気になったこと。

ポリアモリストの特徴 (セクシャリティと宗教)

2 章でポリアモリスト *2 の特徴が述べられている。

その中で、ポリアモリストのセクシャリティの割合が述べられていた。 最も多いのはバイセクシャルで、調査対象のポリアモリストのうち 50 % 以上の人が該当したとのこと。 理由としては、バイセクシャルの人が特にポリアモリーな関係性を望みやすいのであろうと考えられていた。 実際、バイセクシャル研究を行っているペイジによる調査では、サンプル数 217 のうち、33 % がポリアモリー的な関係を築いており、54 % がそのような関係を理想であると答えていると報告されているとのこと。 (ほかのセクシャリティとの比較はないが、実際に多いんだろうという気はする。)

宗教でいうと、調査対象全体のうち 30 % をペイガンという宗教が占めている。 ペイガンは 「異教徒」 を意味し、キリスト教以前の多神教や自然崇拝を特徴とするらしい。 また、29 % は無宗教とのこと。 調査対象のうち、生まれそだった環境の宗教はキリスト教が 81 % を占めていることを考えると、キリスト教の教義的にポリアモリーは相性が悪いんだろうなという気はする *3

ペイガンの中には 「ウィッカン」 という女神崇拝をする人々もいるらしい。 ウィッカンの倫理は 「誰も害さない限りにおいて、望むことを行え」 というもの。 良い教義。

ポリアモリーに必要なもの

実践者によると、「理性」 「知性」 「コミュニケーション能力」 が必要とのこと。

理性とは、善悪を判断し、道徳や義務の意識を自らに与えるもの。 モノガミー社会における善はパートナーだけを愛することであり、悪はそれ以外の人と関係を持つことであるが、ポリアモリーの文脈においては、善悪の判断は自分が関与している関係において、自分の行動が良いかどうか。

また、ポリアモリーを実践するうえで問題になることへの対応や、モノガミーを規範とする社会で生きていくうえでの知識・知性が必要。

ポリアモリーじゃないけど社会規範とずれてるとあらぬ誤解を与えることってあるよなー、というのは思う。 昔、同性の人とわりとスキンシップしてたことがあったんだけど、そのせいか 「同性愛者だと思ってました」 って言われたことがあってそれからちょっと気を付けてるみたいなのはある。 (まあどう思われてもいいと言えばいいんだけど。) 一方で 「その社会規範 (だったり感性だったり) がおかしいんじゃないの?」 と思うこともあってバランスのとり方が難しい。

メタモア

ポリアモリーでは、愛する人が愛する自分以外の存在を 「メタモア metamour」 と呼ぶ。 メタモアは、愛する人を共有する相手でもある。

嫉妬とコンパ―ジョン

調査によると、ポリアモリーの 80 % の人がポリアモリー実践の中で嫉妬を経験したことがある。

これまでの人類学の感情研究より、感情は普遍的なものではなく社会の構築物であることがわかっているとのこと。 例えば、トルコでは、嫉妬するということは相手に入れ込んでいる証拠であり誇らしいものであるという、肯定的なとらえ方をする。 一方で古代の日本では嫉妬は相手を死に至らしめる呪術的なものであると考えられており、あまり表出されなかった。

ポリアモリーのマニュアル本やワークショップでも、この人類学の知見がしばしば引用され、嫉妬は社会によって作られ、社会によって異なるものである、ということが伝えられるらしい。 そのため、ポリアモリーの人たちは 「嫉妬とは何か」 という根源的な問いを出発点に、そのうえで嫉妬とうまく付き合っていく方法を模索している。

アナポールのマニュアル本では、嫉妬は 「独占欲からの嫉妬」 「疎外感からの嫉妬」 「ライバル意識からの嫉妬」 「エゴからの嫉妬」 「不安からの嫉妬」 の 5 つに分類されている。 ポリアモリーの関係においても、一番多い嫉妬はパートナーとの関係が解消されるのではないかという 「不安からの嫉妬」 らしく、なかなか興味深い。 トライアド *4 の関係においては、普段は 3 人で過ごしているのに、2 人だけでどこかで出かけられたときに 「疎外感からの嫉妬」 を感じたりするとのこと。 仲良くしてほしい。 (トライアドはバランスが結構むずそうだなー、って気はする。)

嫉妬と正反対の感情としてコンパ―ジョン (造語) がある。 愛する者が自分以外のパートナーを愛していることを感じたときに生じるハッピーな感情、らしい。 わかる。 みんな幸せになって欲しい。

自分は愛する人が幸せだったら別になんでも良いという感じの人間なので嫉妬というものはあんまりわかんない *5 んだけど、自分自身とうまく付き合っていきましょうという感じがする。

タントラ

本書によると、タントラとは 「己に目覚めるための現実的な方法」 らしい。 「道を拡げる方法」 とも。 本来の意味としては 『シバ神妃の性力 śakti を崇拝するヒンドゥー教シャクティ派の聖典』 (タントラとは - コトバンク) っぽい。 『インドの宗教を専門とする松永有慶によると、タントラの目的は、己を中心に世界が展開していると考える自己中心的な視点を破棄し、宇宙中心の視点に転換すること』 らしい。

ポリアモリーのマニュアルでタントラに言及されていたり、ポリアモリーの先駆者たちがタントラを実践しているなど、ポリアモリーには何らかの形でタントラの精神が浸透している。

タントラは頭での理解よりも実践を重視するもので、ヨガの実践もその一つ。 瞑想によって本源的な自己の探求を目指すとのこと。 嫉妬を感じたときにヨガを行うポリアモリー実践者もいる。

タントラは 「いまここ」 を重視する思想であり、現在自分を取り囲んでいる生の営み全てに目を向けさせる。 ヨガの実践により、自分の身体で 「いまここ」 で起こっていることを感じ、理解し、受け入れていく。 また、生の営みの中には性の営みも含まれていて、セックスを肯定的にとらえている。 タントラでは性エネルギーは神聖なものであり、性行為は人間が自身に目覚める上で役に立つ、と考える。 性行為を通して高次のエネルギーを引き出し、意識を拡大する術を教えているらしい。

タントラ、気になる。

BDSM とポリアモリー

ラヴィング・モアの 「ポリアモリー調査」 によると、ポリアモリストのうち BDSM *6 実践者な人は 30 % を占めているとのこと。 BDSM 実践者でポリアモリーを実践する人が現れる理由として、BDSM パートナーとライフパートナーが必ずしも一致しないから、と書かれている。 それはそうだろうなぁ。

一方で DS 関係 (SM 関係) は基本的に一対一を前提としているため、ポリアモリーを快く思わない BDSM 実践者もいるとのこと。 BDSM ポリアモリーでは主人や奴隷が複数になってしまうため、関係における個々の役割がわかりにくくなったり、自分の奴隷に複数の主人がいることに対して悲しみを感じたりその逆のパターンもある。

さらに BDSM ポリアモリーでは、 嫉妬問題においても複雑になる。

BDSM 実践者のなかには、セックスよりも BDSM 行為に意味を見出す人びとがいる。 そのような人びとにとって、自分の BDSM パートナーが誰かとセックスすることよりも、自分以外の人と BDSM 行為をすることの方が耐えられない。 それは、わたしとあの人の関係だからこそ BDSM 行為ができる、という認識から生じている。

BDSM 関係は精神面を重視するから、確かに BDSM パートナーとの関係が複雑になるとややこしいことになりそう。 前半で言われている BDSM パートナーとライフパートナーを分けるという意味でのポリアモリー実践ぐらいが順当な気がする。

あと DS 関係の支配・被支配とポリアモリーにおける所有しないパートナー関係の概念が対立しないのか (対立すると思う) はちょっと気になる。

ポリファミリー

ポリアモリストによって構成される、成人 3 人を最小単位とする家族をポリファミリーという。 本書に書かれている事例を見ていくと、どの家族も家族内でのコミュニケーションを重視して、役割分担やお金の使い方などを話し合っている。 これはおそらく、ポリファミリーの型みたいなものは決まっておらず、ポリファミリーごとにそれぞれの最適な形は異なっているために暗黙的に落ち着くことがなくて明示的に相談する必要があるってことなんだろうなぁと思う。

逆に単婚の 2 人で形成される家族の場合には型があるように感じている人が多くて暗黙的に役割分担などをしてしまっている状況もあると思うのだけど、実際のところは単婚でも家族によって最適な形は違うから、本質的には単婚の家族でもポリファミリーでもやるべきなことは変わんない気はする。

あとポリファミリーとは関係ないけど、家事育児と仕事の分担を 2 人の成人でやるよりはさらに大人数でやった方が効率的だし、単婚家族でも複数ペアが集まって家族を形成するのはありなのでは? という気がした。 信頼関係を結べるのかどうかみたいなところが難しい気もするけど。

おわり

別に自分はポリアモリー実践者というわけではないけど、思想的な部分で共感するところも多かった。 最初の方でも書いたように、<一対一> の関係においても 「オープンな関係」、「身体的・感情的に深く関わりあう持続的な関係」、「所有しない愛」、「結婚制度に囚われない自らの意志と選択による愛」 というのは有用ではないかと感じた。 パートナーが複数であるかどうかは重要ではなくて、そこらへんは各パートナー同士で相談すればええんやと思う。

ポリアモリーが性質ならモノガミーだって性質でしょ - ←ズイショ→』 にいいことが書かれてるんだけど、モノアモリー的な価値観が一方的に押し付けられるべきものでないのと同様にポリアモリー的な価値観も一方的に押し付けて良いものではないので、モノアモリー的価値観を持つ人間を無自覚に抑圧するという状況もないように気を付けて生きたい。

*1:それはそれでややこしいので本書では複数の関係性を持つ (あるいは持つ可能性を考えている) 人だけをポリアモリーの実践者としている。

*2:ポリアモリーの実践者。

*3:本書では特に言及されていないが。

*4:3 人が互いにパートナー関係になっているポリアモリー関係。

*5:昔のパートナーに 「(パートナーが異性と出かけることに対して) 嫉妬しないのは愛してないからじゃないのか」 って言われたのを思い出してしまった……。 そういうわけではないんや。

*6:B は Bondage (捕らわれの身)、D は Discipline (主従関係における懲罰)、S はサディズム、M はマゾヒズムを意味する。 Dominance (支配) と Submission (服従) の頭文字から DS 関係とも。