一角獣は夜に啼く

ただの日記です。

思ってることとか考えたこととか適当に書きます。 まじめな話は 「ひだまりソケットは壊れない」 に書いています。

人前で話すということ、あるいは人に信頼されるための話し方について

夢を見た。 発表内容はあまり覚えてないのだけれど、人前で成果発表みたいなことをするという夢だった。

人に何かを伝えるというのはあまり得意ではなくて、それがさらに不特定多数を相手にするとなると非常に苦手意識を感じてしまう。 夢の中でも自分はあたふたしていたように思う。

人に何かを伝えることに対してなぜ苦手意識をもつのか。 すなわち、なぜそれを難しいと感じるのか。 色々あると思うのだけれど、多分自分にとって一番難しいと感じる部分は 「自分の伝えたい内容を相手に誤解なく伝えるようにする」 という部分だと思う。

話し手と聞き手が異なる文化圏 *1 に属すると、例えば自分が何らかの事象に対して好意をもっていたとしても、聞き手は 「話し手はあの事象に対して好意的な思いを持っていない」 と感じる可能性もある。 別に悪意をもって発言したわけじゃないのに 「ディスってる *2」 と受け取られる可能性もあるわけだ。

上で述べたのは話し手の感情的な部分であるが、感情的な部分だけでなく事実を述べるような場合でも話し手と受け手の間で齟齬が発生することはままある。 前提知識の差であったり、同じ言葉でもどのような意味で使っているのかが違っていたり *3 したり。 話し手と受け手のそういった差異が齟齬を生み出す。

そういった悲劇を生み出さないために、使う言葉は慎重に選ぶ必要があり、また、場合によっては単語、概念、その他の事物を定義する必要がある。 云々。 そんなことを考えていると、当然ながら苦手意識をもってしまう。

人に信頼されるための話し方だとかなんだとか

まあ自分の苦手意識の話はどうでもよくて。

去年の春に新人研修の一環として某コンサルタント企業 (?) の 「営業職のための話し方講座」 みたいなのを受講したのだけれど、そこで言われていたことが 「営業して取引を成功させるためには信頼されることが大事だ。 信頼されるためには話し方が大事で内容は二の次」 みたいなことだった *4。 大きな声で、相手の目を見て、自信ありげに話せ、というような内容だった。

まあ同じ内容を自信なさそうに話されるのと自信ありげに話されるのでは自信ありげに話された方が信用できるだろう、って話はわかる。 わかるよ。

しかしだ。 本当に内容に自信があって出てくる自信ありげな話し方ならいいけど、付け焼刃の自信ありげな話し方ってむしろ胡散臭さが増すんじゃないのか? 現に、そのコンサルタント企業のいくつかの講義を受けたけど、講師の人はいかにも付け焼刃のような自信ありげな話し方をしていて、全然信用ならない感じだった。 話の内容も低水準だったし。

大体さ、「内容よりも話し方が大事だ」 みたいなことを言ってるような企業にコンサルティングして欲しいか? 私なら絶対ごめんだ。

しかし、実際のところ内容よりも話し方で相手を信頼するかどうか決めるって人も多いと思うんだよね。 そういう事実が社会をダメにするんだよなー、とかなんとか思ってる。

*1:ここでいう文化圏とは、学術的な意味での 「文化圏」 ではなく、もっと広義の、ある共通の知識を共有するような集団をさす。

*2:"ディスる" とは、はてなキーワードによると 『軽蔑し、攻撃すること』 らしい。 別に悪意をもって発言してるわけじゃないのに、よく 「ディスってる」 とか言われる。 つらい。

*3:ソフトウェア業界だと、例えば 「MVC」 という言葉はわりと人によってどういうものを指すのか違っていたりするように思う。 学術的なところでも、同じ言葉でも違うものを指すことがたまにあったりする。

*4:もはやはるか過去の記憶なので全然違うかもしれない。 が、内容よりも話し方が大事という内容だったのは間違いない