一角獣は夜に啼く

ただの日記です。

思ってることとか考えたこととか適当に書きます。 主にソフトウェア開発の話題を扱う 「ひだまりソケットは壊れない」 というブログもやってます。

読んだ: 人を伸ばす力 ― 内発と自律のすすめ

会社の先輩にメンタリングについて相談したところおすすめされた一冊。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

サブタイトルにもあるように、内発的動機づけと自律的に生きるということの重要性、さらにはそういった生き方ができるように他者を支援するためにどういう考え方でいればよいか、ということが述べられている。

感想

本書は 20 年近く前の書籍であるが、今なお重要な内容だと感じる。 外発的動機づけが溢れている現代社会において自分がどう生きていくのか、ということを考えるために、あるいは子どもや教え子をどう支援するのか、同僚や家族との人間関係をどのように結ぶか、組織をどう形作るのか、ということを考えるために、本書は多くの示唆を与えてくれる。

内発的動機づけの話から始まり、自律性の重要性の話、社会における関係性について語られる。 最後には自由について至る。 一貫して説かれるのは 「自律的に生きること」 である。 自律的であるからこそ内発的動機づけが高まるし、自律的であるからこそ社会との相互作用の中で個人が成長していくのだろうと思う。 自己組織化されたチームになるためにも、各自の自律性が重要になってくるように感じた。

最後に語られる、自由とは 『環境をかえることに前向きであることと、環境に敬意を表することとのあいだにバランスを見いだすこと』 というのは、組織において、人と人とが、人と環境とが相互作用しながら成長していくために、各自が持っておくと良い態度であろう。

人生を考える上でも、個人の成長を考える上でも、さらには組織の成長を考える上でも学びの多い本だった。

内容紹介

内発的動機づけ

内発的動機づけとは、「自ら学ぶ・やる意欲」 である。 例えば、幼い子どもが好奇心で様々なことを学んでいくのは、内発的動機づけにもとづくものである。

生まれつき人が持っている内発的動機づけであるが、様々な要因により内発的動機づけは低下させられる。 具体的には、報酬、強要、脅し、監視、競争、評価といった方法により、人が統制されていると感じたならば、その場合に内発的動機づけは低下する *1。 報酬や競争や評価といったものは、現代社会において動機づけの方法として広く使われているもの (外発的動機づけ) であるが、そういったものが内発的動機づけを低下させるのである。

内発的動機により何かの行為に打ち込んでいるとき、人はいわゆる 「フロー状態」 になっている。 時間の感覚が消え去り、集中力が持続し、ワクワクするような気持で満たされている。 好きなことに打ち込んでいるときにそういう状態を経験した人も多いだろう。 それ自体が重要であるが、さらに内発的動機づけと外発的動機づけそれぞれの行為の成果を比較しても、やはり内発的動機づけによる行為の方が高い成果を出すことが多いようである。 例えば学習について、内発的動機による学習と外発的動機による学習を比較すると、内発的動機によるものが概念的な理解が深いのに対して、外発的動機によるものは表面的な理解になっているという研究結果が紹介されている。 これは自分自身の経験を思い返してみても実感のあることで、「興味のあることを調べたり学んだりする場合は、嫌々やるのと比べて遥かに理解が進む」 というのは多くの人が納得いくところだと思う。

また、学習以外の芸術的な活動や問題解決といった分野においても、内発的に動機づけられた方が高い成果をあげるとのことである。 一方で、単純なルーティン課題の場合には報酬による動機づけによって遂行のスピードが増すこともある。 ただし、この方法では、報酬が与えられたときだけは行為を行ったり、巧妙なサボタージュをするなどの別の負の側面を持っている。 こういった話は 『チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ』 にもあって、単純労働に対してはある程度の効果があるが、現代の複雑な問題を解決していく必要がある仕事においてはむしろ負の効果があると述べられていた。

内発的動機づけに重要な自律性と有能感

さて、そんな内発的動機づけであるが、それを高めるために重要な要素として自律性と有能感が挙げられている。

上で 「統制されているという感じ」 が内発的動機づけを低下させると書いたが、統制の反対が自律性である。 人には、「自らの行動を外的な要因に強制されるのではなく自分自身で選んだと感じたい」、「行動を始める原因が外部にあるのではなく自分の内部にあると思いたい」 という心理的欲求がある。 自律性がなければこれが満たされず、内発的動機が低まるのであろう。

また、(内発的なものだけでなく) 動機づけに重要な要素として、行動と結果が結びつけられる仕組みの存在がある。 さらにはその行動を十分に行うことができると感じている必要もある。 それが有能感である。 すなわち 「できる」 という感覚が内発的動機づけにおいても外発的動機づけにおいても重要なのである。

自律性と有能感が揃ってはじめて、最良の結果がもたらされる。

社会の中で、あるいは個人間の関係で

2 部 「人との絆がもつ役割」 では、社会の中で自律的であることや人間関係について述べられる。

人は、生得的な心理的欲求として関係性の欲求 (need for relatedness) を持っている。 「愛し愛されたい」、「思いやってあげたい」、「思いやりを受けたい」 という欲求である。 人はしばしば自律性への欲求と関係性の欲求が両立しないものであると考えている (自律性を独立性と同一視してしまっている) が、実際はそうではない。

独立性は他者からの物質的、情緒的支援に頼らないことである一方、自律性は自由な意志と自己選択の感覚を持って自由に行動すること。 つまり、自由な意志で独立することもできるし、逆に自由な意志で依存することもできる。 自律的でありながら依存することも可能であり、それは有用で健全である。 『自律的に依存することは、実際きわめて自然な状態』、『真に選択されたのではない依存こそが、不適応をもたらす原因』 と書かれている。 私自身、自律的であることと独立的であることの区別をしっかりとは付けられていなかったので、この指摘にはハッとさせられた。

そしてこの関係性の欲求に導かれて、人は集団の成員となる。 このとき、人は社会の価値 (規範など) を身につける必要がある。 このプロセスを内在化 (internalization) という。 内在化のプロセスにおいて、社会化の担い手 (親や教師、上司など) が統制的であるか自律性を支援するかによって、価値の内在化の程度が異なってくる。 不完全な内在化は単なる取り入れ (introjection) に過ぎず、その個人の内に存在する統制的なルールとなってしまう。 最適な内在化は、社会の価値規範を咀嚼し、個人の価値規範に統合 (integration) することがである。

このプロセスにおいても、自律性の支援が重要となる。 「何故そういう規則があるのか」 ということを説明したり、相手の立場にたって感情を理解するといった方法で自律性を支援することで、統合へ向かう内在化のプロセスが促進される。 反対に、随伴的な愛情や尊敬 (「こういう状態であればよい」、「こういうことをすればえらい」) が統制の手段として用いられた場合には、取り入れが促進される。 さらに、自分自身を随伴的に評価するようになってしまう。 つまり、他者からの愛情や尊敬を得るために外的な要求に従って生きてきて、今、自分自身からの愛情と尊敬を得るためにも取り入れられた規範に従う必要が出てきてしまう。 自律性の欠如に結び付くのである。 興味深いのは、取り入れによる内在化が行われた個人と統合による内在化が行われた個人とで、一見すると違いがわからないということである。 いわゆる優等生に見られて放置されがちな子どもが、実際には取り入れによる内在化が行われた結果であり自律性の支援を必要としていることもある。

そして、取り入れによる価値規範を持つ人の持つ自尊感情は随伴的なものである。 価値規範にしたがった評価がそのまま人間としての自己価値に結び付く。 反対に、真の自尊感情は、人間としての自分の価値を信じるという堅固なもので、価値規範には依らない。 統合された価値規範で自分自身を評価することはあるが、それが人間としての自己価値とは直接結びつかないのである。

相互依存関係を考えるとき、もっとも成熟した、満ち足りた関係を特徴づけるのは真の自己と真の自己が関わりあう関係である。 お互いが自律的に、真の選択の感覚を持って関わりあう限りにおいて、その関係は健全なものであり、お互いの個性や特性を支援できる。

病める社会の中で

多くの人が持っている生きる意欲のうち、外発的意欲 (富や名声、肉体的魅力) のいずれかが、3 つの内発的意欲 (個人的関係の満足、社会貢献、個人の成長) と比較して突出して高いとき、精神的健康も低い傾向にあるということも述べられている。 自律性が支援された子どもは、外的基準をうまく統合し、外発的価値と内発的価値のバランスを取りやすい。 反対に、自律性の支援や関与が不十分だと、上述の取り入れや随伴的な自己の感覚がもたらされ、さらに外発的意欲への指向性がもたらされる。

さらにいうと、現代社会は外発的意欲を掻き立てるものであふれている。 これは子どもだけでなく大人に対しても大きく作用している。

どうしたらうまくいくか

3 部では、他者の自律性を支援する方法、あるいは自分自身が (統制の中でも) 自律的に生きていくための方法が書かれている。

他者の自律性を支援する方法としては、以下のようなことが挙げられている。

  • 選択を与える。
  • 必要に応じて制限を加える場合 :
    • 制限自体を本人や組織が決めると良い。
    • 制限の範囲はできるだけ広くとる。
    • 情報提供をする。
    • 犯した過ちに見合う結果を示す。
  • 目標の設定と成果の評価。
    • 目標を個々人のレベルに合わせる。 本人が目標設定に関わると良い。
    • 実績の評価にも本人が関わる。 目標に達していない場合には、それを批判の根拠にするのではなくて解決すべき問題とみなす。 基準が不適切だったのか、予期せぬ障害が起こったのか、云々。
  • 適切な報酬と承認。
    • 動機づけではなく *2、評価として。
    • 競争は多くの敗者を生む。 各チーム内の優れた業績に対してそれぞれ賞を与えるなどの方法。
  • 自律性を支援されていない人は他者の自律性を支援することも難しい。
    • 圧力をかけられている上司は、部下にも圧力をかけがち。

自分が自律的に生きるためのこととしては、以下のことが述べられていた。

  • 特別な支援を見つける。
    • 自分を支援してくれる個人を見つけるなど。
  • 統合されたパーソナリティ (自律性志向)。
  • 社会環境とパーソナリティの相互作用。
    • 個人が周りの人に対して与える影響。 自分を支援してくれるような振る舞いをするみたいなの。
    • 周りの行動を支援的に見るようなものの見方をする、というパーソナリティ。
    • パーソナリティが社会環境に影響を与え、社会環境がパーソナリティにも影響を与えてお互い成長していく。
  • 自分の望むことが実現するように積極的になる。
    • 欲しいものを世界が与えてくれるのを待つのではない。
    • 「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」 ってやつや。
  • 自分の経験・感情をマネージする。
    • 環境のマネージ以上に重要。
    • 感情や内的衝動をマネージする調整過程を形成すること。 自分の欲求を満足させる方法を見つけること。
    • 生起された感情に対する再評価過程。
  • 自分の行動を調整する。
    • 感情が動機づける行動をうまく調整すること。
    • 感情の純粋さは指標として重要。 悲しみは純粋だが抑うつは純粋ではない。 純粋な感情は心の栄養となる。
    • 自律的であれば、感情を十分に経験し、どのように表出するか選択できる。
  • テクニックを使用。
    • 自分にとって有用であればテクニックを使うのもいいかもしれない。
    • 動機なしでテクニックだけ取り入れようとしても無意味。
  • 自分を受け入れる。
    • 自分の内的世界に関心を持つこと。
    • 「なぜ自分は○○するのか?」
    • 自分の行動の理由を非難の対象にしてはならない。

自由とは

最後の 4 部 「この本で言いたかったこと」 では、自由と責任について述べられる。

人間の自由とは、真に自律的であること。 『環境をかえることに前向きであることと、環境に敬意を表することとのあいだにバランスを見いだすこと』。 自由であることは他者への受容する態度を伴う。 我々は一人で生きているのではなく大きな組織の一員であり、そこへ統合されようと努力するとき、責任を発達させる。 そのために社会からの栄養が必要であり、栄養を提供するかどうかによって社会が人々の心理的な自由に影響を及ぼす。

ついーとログ








*1:適切な報酬など、内発的動機づけを低めないこともある。

*2:動機づけとして報酬を用いるのは逆効果になりえる